竹下通りができる前、若者が知らない「原宿」の歴史【東京地名散歩】

2017.03.01

「原宿」の地名にこだわるジモトの人々

旧原宿2丁目の商店街(原二本通り)は鎌倉街道への入口でもある

旧原宿2丁目の商店街(原二本通り)は鎌倉街道への入口でもある

原宿駅と並ぶ今回の地名散歩のハイライトは、「原宿」の地名の発祥地ともいえる旧鎌倉街道沿いの道(旧原宿1~2丁目、現神宮前2~4丁目)です

今回は表参道から、旧鎌倉街道に入りました。伊藤病院横にある入口には「原二本通り商店街」と書かれたアーチ型のゲートが設置されています。このあたり(神宮前4丁目)は旧原宿2丁目に当たり、原二本通りという商店街の名称は、「原宿2丁目本通り」を意味しています。

昔の宿駅がどこにあったのかはわかりません。でもオシャレなアパレルショップや飲食店をひやかしつつ、鎌倉時代にはこのあたりを旅の人馬が通っていたのかと思いながら歩いていると、なんとなく楽しくなってきます。

そして注意していただきたいのは、ここ(神宮前4丁目)からどんどん北上し、キラー通りを渡り、青山熊野神社前や国学院高校第二記念館方面に至る道筋の所々にある「町会」の掲示板です。

原宿1丁目町会の文字が誇らしげに躍る掲示板(青山熊野神社の塀)

原宿1丁目町会の文字が誇らしげに躍る掲示板(青山熊野神社の塀)

 

神宮前3~4丁目付近の掲示板には、「原宿二丁目町会」と書かれています。また青山熊野神社や国学院高校第二記念館に近い掲示板には、「原宿一丁目町会」と書かれています。さらに少し離れますが、千駄ヶ谷に近い神宮前2丁目あたりに行くと、「原宿三丁目町会」と書かれた掲示板にも出会うことができます。

信号(原宿団地北)名に残る今はない原宿団地の記憶

信号(原宿団地北)名に残る今はない原宿団地の記憶

旧原宿1丁目~3丁目の住居表示が、神宮前1丁目~4丁目へと変更されてから52年目になる今も、旧原宿に位置する各町会は相変わらず「原宿」の旧地名にこだわり大切に守り原宿町会の住民を自認しながら暮らしているのです。

神宮前という地名は全国的にも知名度があり、好感度の高い地名といえます。だからこそ一層、古くから地域に暮らす人々による、「原宿という伝統ある地名への愛着の強さが、この町会の名称にはシンボリックに表れているように思われます。

「青山熊野神社」(神宮前・青山の総鎮守)の風格ある狛犬

「青山熊野神社」(神宮前・青山の総鎮守)の風格ある狛犬

 

さて、旧原宿1丁目にあたる、青山熊野神社や国学院高校第二記念館の付近(神宮前2丁目)までくれば、旧原宿を巡る今回の地名散歩もそろそろ終了ですが、付近の坂道に設置された街路灯に、注目してください。

「旧鎌倉街道」と書かれた看板とともに、「勢揃い坂」と書かれた看板のあることに気づくでしょう。「勢揃い坂」の名称は、ここにかつて源氏の鎧武者が勢ぞろいした故事にちなみ付けられました。

穏やかな冬日を浴びる勢揃い坂は昔、《後三年の役》の出発点だった!?

 

時は1083(永保3)年、八幡太郎義家の通称で知られる源氏の武将・源義家が奥州征伐(後三年の役)に向かう際、この坂で軍勢を勢揃いさせ奥州に向かったとされているのです。

源義家が活躍した時代は、源頼朝が征夷大将軍に任命された時点(1192年)より100年以上も前のこと。源頼朝・義経兄弟も鎌倉もまだ歴史の表舞台には登場していません。

しかし、ここで軍勢を勢揃いさせた義家の代名詞(八幡太郎)ともなっている八幡信仰は、初めての武家政権が開かれた鎌倉時代から徳川幕府の時代に至るまで、将軍はもちろん、各地の有力武将たちにより、「武神」として信仰されていきます。

鎌倉街道沿いに発展したかつての宿駅・原宿の時代から、世界中のファンが集る現代にまで至る原宿の歩みの背後には、このように多彩な歴史的エッセンスが、無数に積み重なっているのです。

そんなことのアレコレを推理したり、想像したりしながらそぞろ歩く地名散歩って、本当に楽しいものですよ!

 

参考資料 『東京の地名由来辞典』(竹内誠編、東京堂出版)/『明治・大正・昭和世相史』他

未知草ニハチロー(マタ旅散歩家)
日本各地をマタ(股)旅散歩しながら、雑誌などにまちづくりのリポートをしている。裸の大将・山下清のように足の裏がブ厚くなるほど、各地を歩きまわる(散歩する)ことが目標。「未知草ニハチローのまちづくりのココロ訪問記」は地域ごとに現在進行形で行われている、まちづくりのココロを訪ねる小さな旅のシリーズ。

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