竹下通りができる前、若者が知らない「原宿」の歴史【東京地名散歩】

2017.03.01

今も残る「参道橋」と「原宿橋」の親柱

キャットストリート・隠田橋跡(この付近にかつて水車小屋があった)

キャットストリート・隠田橋跡(この付近にかつて水車小屋があった)

表参道を挟んで南側のキャットストリート(隠田商店街)から、北側に向かって、端から端まで歩いてみました。

暗渠化された渋谷川の跡をたどる道になるわけですが、どちらの道の両側にも楽しくて個性的なショップが建ち並んでいるためか、渋谷川の跡地を意識して散歩する人は意外に少ないように見受けられます。しかし、ショップとショップの間には、旧渋谷川の痕跡(橋の跡、流路の跡など)がちょこちょこ見られます。これを見逃したのでは、あまりにもったいない!

例えばキャットストリート(隠田商店街側)の中央部にある十字路は、旧渋谷川(この付近は隠田川の通称で呼ばれた)に架かっていた「旧隠田橋の跡です。

また表参道と合流する地点には「旧参道橋」(石造)の一対の親柱が、今もそのまま残っています。旧参道橋は明治神宮が創建され、表参道が建設された1920(大正9)年に造られました。

文字通り、表参道の橋を意味する参道橋です旧渋谷川の数ある橋の中でも最も立派な橋の一つだったであろうことが、残された親柱の大きさや質感からもわかります。

キャットストリート(隠田商店街側)入口にたたずむ参道橋・親柱

キャットストリート(隠田商店街側)入口にたたずむ参道橋・親柱

隠田商店街側のキャットストリート

隠田商店街側のキャットストリート

次の東京オリンピックが開催される2020(平成32)年は、明治神宮創建100年とも重なります。ということは、親柱だけが残る参道橋も2020年で100歳になるのです。

表参道を横切り、旧渋谷川の流れの形がよくわかる道筋をさらにうねうね進んでいくと、やがて幹線道路に合流します。その角には「旧原宿橋(石造)の親柱(1934年=昭和9年建造)が、やはりそのまま残っています。

消しても、消しても、また描かれる落書き(原宿橋・親柱)

キャットストリート(北側)の端に位置する原宿橋の親柱

幹線道路を右に曲がり、キラー通りを越え、さらに少し進んでいけば、次にご紹介する旧鎌倉街道とぶつかります。

原宿が鎌倉街道の宿駅として鎌倉時代に発展したことはすでに述べました。したがって原宿橋の親柱が残るあたりから、旧鎌倉街道方面へと向かう道筋は、大昔の原宿の中心部(宿駅)方面に向かう道筋なのだともいえます。

天正年間(16世紀後半)創建、江戸時代には伊賀衆に護られた隠田神社

天正年間(16世紀後半)創建、江戸時代には伊賀衆に護られた隠田神社

旧鎌倉街道と並行して流れていた渋谷川の清流は、農地を潤しただけでなく、旅人たちや、宿駅の主役である馬たちの喉も潤したことでしょう。石造の旧参道橋や旧原宿橋はもちろん鎌倉時代にはなかったわけですが、大昔から近郷近在に不可欠で、貴重な水資源だった渋谷川が、今も地下をちゃんと流れている事実を私たちに想い出させてくれる、大切な歴史の生き証人であることには変わりありません。

ところが、参道橋の親柱も原宿橋の親柱も、半ば朽ちかけています(とくに原宿橋の朽ち方が激しく、落書きもされたまま)。

なんとかリスペクトを欠かないような形で、もう少し丁寧に保存していけないものでしょうか。

未知草ニハチロー(マタ旅散歩家)
日本各地をマタ(股)旅散歩しながら、雑誌などにまちづくりのリポートをしている。裸の大将・山下清のように足の裏がブ厚くなるほど、各地を歩きまわる(散歩する)ことが目標。「未知草ニハチローのまちづくりのココロ訪問記」は地域ごとに現在進行形で行われている、まちづくりのココロを訪ねる小さな旅のシリーズ。

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