日本で一番多いとされる「八幡神社」と、発明王エジソンの意外な関係

Thomas_Edison_Monument_at_Yawata

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さて、石清水八幡宮の境内の一角にはエジソン記念碑があります。世界で初めて白熱電球の実用化に成功した、アメリカのトーマス・エジソンです。エジソンは電球を長持ちさせるためにフィラメントを探し世界中を旅してまわりました。試した回数は1万回とも言われているのは有名な話ですよね。

その結果、フィラメントの素材に試されたのが石清水八幡宮が鎮座する男山の竹にたどり着いたのです。数十年間世界中を駆け回り、失敗を続け探し求めた素材は京都の男山にあったのです。

以来10数年間、京都の八幡の竹がアメリカに輸出され電球のフィラメントとして使われ、世界中を明るく照らしたのです。エジソンが男山の竹に出会わなければ、いまだに夜はロウソクの火を頼りに過ごしてかも知れません!(そんなことはないですね 笑)
以来、石清水八幡宮ではエジソンの誕生日と命日には祭りを行っています。

石清水八幡宮にはもう一人有名な人が関わっています。神仏習合だった江戸時代までは男山の山中にはお堂や僧侶が住む建物が多くありました。江戸時代、「滝の坊」という宿坊の住職を務めていたのが松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)です。当代一の文化人と言われた松花堂は、弟子に滝の坊を譲った後は、松花堂と名付けた庵を建て風雅な暮らしを送りました。

松花堂は、琳派の祖・本阿弥光悦、近衛信尹(のぶたか)と共に「寛永の三筆」の一人です。近衛信尹は、五山の送り火の「大」の字の元になる字を書いた人とされている人です。(諸説ありますが)松花堂は、「寛永の三筆」に数えられるほど書に秀でただけではなく、絵や庭造り、和歌、茶の湯などにも才能を発揮しました。そのため、多くの人が集まり松花堂はサロンとしての役割を持っていたそうです。

さて、松花堂と言えば「松花堂弁当」との関連が気になるところです。松花堂弁当は、木箱の中に十字型の仕切りがあり、縁がついた蓋のある弁当のことを言います。見た目は幕の内弁当のようなものです。幕の内は武家の流れを汲む食事ですが、松花堂弁当は懐石の流れを汲みます。

江戸時代、松花堂は農家が種入れとして使っていた器をヒントに同じような器を作り絵具箱や煙草の道具を入れて使っていました。昭和に入って、名料亭「吉兆」の創始者・湯木貞一がこの器で茶懐石の弁当を作ったのが松花堂弁当の始まりです。松花堂弁当は吉兆が始めた高級弁当だったのです。その後は松花堂弁当と言えば、高級和食の茶懐石の弁当のイメージが定着したのです。

さあ、今回は石清水八幡宮が国宝に指定されたことを喜び、その由来、歴史、建築物の魅力、ゆかりの人たちをご紹介しました。京都の魅力は、1つのことやものを点で知るようになると、段々と線となりその線が前後左右にどんどん伸びていきます。


その線を伝わって色々な時代にタイムトリップすることが出来るのです。そして、それが面になり、文化や宗教、美術や芸術、生活や風習、祭や儀式、行事などの醍醐味を知ることになっていきます。

国宝は我々日本人の一人ひとりの大切な宝です。京都にまた一つ1000年以上受け継がれてきたものが国宝に指定されます。我々が生きている間というほんのわずかな間にかけがえのない想いで長年受け継がれてきたものが国宝となる瞬間がくるのです。このような貴重な遺産の意味を知り、興味を持って読んで下さる皆様や、次の世代に伝えていけることを誇りに思います。

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