長野県民でも複雑な想いを抱く「蕎麦がき」の知られざる歴史

2017.07.19
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「蕎麦」といえば、麺状に細く切られた物をイメージしますが、実は麺にして食べ始め始めたのは江戸時代以降で、それまでは蕎麦粉を練った「蕎麦がき」として食す方が一般的だったそうです。無料メルマガの『安曇野(あづみの)通信』では、はじめて蕎麦がきを食べたときの感想を回顧しつつ、蕎麦の知られざる歴史を紹介しています。

「蕎麦がき」の味

インターネット百科事典「ウィキペディア」の「蕎麦がき」の項に、

--蕎麦粉に湯を加えるか水に入れてから加熱し、箸などで手早く混ぜて粘りを出し、塊状にして食す。水分が多かったり、加熱しすぎると上手に出来ない事がある。特別な事が無い限り蕎麦粉1005%の粉が使用される。また、そばの産地では、子供でも作れるのでかつてはおやつの定番であった。箸で少しずつちぎりながら、そばつゆや醤油をつけて食べる。

また、発掘された縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程、日本では古くから蕎麦が食べられていた。 蕎麦がきは鎌倉時代には存在し、石臼の普及とともに広がったと見られる。江戸時代半ばまではこの蕎麦がきとして蕎麦料理を食べられていたが、江戸中期頃、麺状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり]、日本全国に広がっていた。

--などの記述がある。

今では信州でも多くの人にとって郷愁の食べものに類するこの蕎麦がき。といってもこの私は、一時期まで蕎麦がきを食べたことはなかった。

 

松本市を見下ろす近郊の農村の私の田舎では、ソバをは植えられていなかったので、従ってその頃に食卓で蕎麦を食べる機会はなかった。
かって勤めていた職場などで、昔話しに花が咲いて同僚が、実になつかしそうに蕎麦がきを食べた体験を語るので、それがどんなものかぜひ食べてみたいものと思っていた。

 

あるとき、某スーパーに蕎麦粉を売っているのを見つけたので、さっそく求めて作ってみた。蕎麦がきを。茶碗に蕎麦粉を入れ、熱湯を入れかき回しただけだが。う~ん、個人的な好みもあるだろうが、正直うまくない。味噌を付けようが、砂糖醤油を付けようが、元の蕎麦粉の味がベースだからどうしたってもうまいとはいえない。これは薄焼きにしようとおんなじだった。

 

会社に行って、伊那の山の中で子供のころよく蕎麦がきを食べたというGさんに話してみると、「あんなもの、ちっともうまいものじゃないさ。」という返事。ただ常に腹すかせていたような時代だったから、なんでもうまかったのだろうと。

 

蕎麦の歴史は有史以来というくらい長いという。かなり前のことになるが、今は長野市の旧戸隠村で行われた世界ソバサミットに世界のいくつの地域から参加があったように、地球の各地で食べられている事実がある。だが、蕎麦をうどんやソウメンのようにヒモ状に加工(いわゆる蕎麦切り)してつるつる食べるようになったのは江戸時代の始め頃というから、蕎麦を食べた歴史の長さから比べればわずか数百年にすぎない。

 

では、どうして食べていたかといえば、蕎麦のまま炊いて、蕎麦飯をつくる風習があった地域もあるが、なんといっても蕎麦は、粉にして食べるのが普通だった。蕎麦がきであり、蕎麦団子、蕎麦で作った焼き餅、クレープ等である。蕎麦がきや蕎麦粉で作った薄焼きを作って、私自身食べて見て、「こりゃ、小麦粉のうまさにはには、とうていかなわないな。」と実感した。

 

ところで、蕎麦切りの発祥地は長野県の木曽地方だという説もあるようだが蕎麦切りは、蕎麦の食べ方としては最適、これ以上食べてうまく、蕎麦の味と香りを生かす食べ方もないだろう。そういう意味では画期的発明といえるだう。

 

『安曇野通信』 発刊以来10年、みすずかる信濃はアルプスの麓、安曇野を中心に信濃の光と風、懐かしき食べものたち、 野の花、石仏、植物誌、白鳥、温泉、そしてもろもろ考現学などを、ユニークな(?)筆致でお届け。

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